神社への参拝方法で知っておくべきマナー

みなさんも神社、神様と縁を結びたいと考えていると思うが、神様と出会う前に知っておくべきことがある。

神社への参拝方法において知っておくべきマナー

御神縁という言葉を聞いたことはあるだろうか?

文字通り神様とのご縁という意味である。

濃密な地域社会の中に暮らしている人にとっては、日頃から地域の氏神との御神縁を意識する機会もある。

しかし、大半の人、特に都市生活者の多くは、意識する機会が少ないのが現実だ。

参拝する動機

もちろん特定の神様との縁を意識しなくても、日々の暮らしに支障はない。

しかし、ときに私たちは、日常から離れ、気分をリフレッシュさせたいと思うことがある。

あるいは、物事がうまくいかず、リスタートしたいという思いにも駆られることがあるだろう。

そんな時、そういう動機を抱いた時こそ、神社を参拝しよう。

オススメの神社とは

では、そんな時にオススメの神社とは何だろうか。

この疑問に答えるのは困難である。

この「オススメの神社」にはおそらく下記二つの意味がある。

  1. 素晴らしい気に満ちたパワースポット的な場所でリフレッシュしたいという聖地探しの欲求
  2. 神様のご利益が欲しいという欲求

この二つである。

ところが、人それぞれ性格も感性も置かれた状況も異なるわけで、この神社がオススメであると個別具体的に答えるのはかなり難しい。

現代的な感覚でいけば、一問一答形式の質問事項を用意して、全国の神社データからみなさんに合った神社はここです!と答えるコンシェルジュのような方法もできないわけではないが、神社参拝とはそういう機械的なものではないのである。

なぜか?

それは、人と人との縁が偶然の出会いであるように、神社や御祭神との御神縁もその人ごとに偶然の出会いや体験が重要であるからだ。

神社参拝はオンリーワンな体験

その場に行くことで初めて分かる感覚というものがある。

それは、その場の雰囲気が醸し出す何かがそう感じさせたのかもしれない。

あるいは、その時の自分の状況がそう感じさせたのかもしれない。

正直、それは自分も含め誰にもわからないことだが、一つだけ確かなことがある。

その感覚は、あなただけのものであるということだ。

神社参拝に特別な能力は必要か

霊的感性に優れ、参拝経験豊富な人の中には、この神社は良い、この神社はダメだなどと感想を漏らす人がいる。

しかし、そんな能力は全く必要ない。

少なくとも、私はそんな能力は持ち合わせていない。

神社参拝はフィーリングで良いのだ。

フラッと訪れた神社で心地よい気分なる。

ああこの神社良いな…と腑に落ちる。

そんな感覚を覚えたら、その神社は、みなさんにとって良い神社というわけである。

神社への参拝方法におけるマナーは簡単

ああこの神社良いな…と腑に落ちるかどうかは、自然条件によるのか、積み重ねられた歴史的景観なのか、決めるのはあなた次第だ。

というわけで、神社選びは感覚でいいわけだから、神社参拝への敷居はグッと低くなることが分かってもらえたと思う。

神社への参拝方法におけるマナーも簡単だ。

神社参拝というとビビッて体調不良になるという人がいるとかいないとか聞くが、何も恐れることはない。

常識的な行動をとればよいだけだ。

神社がある場所とは

太古の昔に遡って言えば、もともと人がその土地に住み始めて最初にやることは 神祀りの場を定めることだった。

簡単にいうと、その地域の一等地に神社が作られたわけだ。

大昔の一等地とは、具体的には、湧き水に恵まれた場所をだったり、集落を見渡せる地盤の安定したた高台であったり、あるいは神が宿っていると思しき樹木や大きな岩があったりするところのことを指す。

そして、そういった場所で「まつりごと」は行われた。

神社はもともとそういう選ばれし特別な場所だった。

我々は神社参拝する際、そういう選ばれし特別な場所に来ているのだということをまず認識する必要がある。

といっても地理的条件だけで選ばれし特別な場所となるわけではない。

我々が参拝して、リラックスできると感じることができるのは、御祭神を祀ってきた神職や信仰し支えてきた氏子、崇敬者の人々によって、そう万人に感じてもらえるよう長年保たれてきたという歴史的積み上げに思いをいたすことも大切だ。

もしあなたがある神社にひかれたとすれば、それは知らず知らずのうちにその神社を支えてきた人たちが連綿と継承してきた歴史と文化に惹かれたことも意味するという認識を持とう。

歴史を重ねた人々の想い

では、何が氏子、崇敬者の思いを支えてきたのか。

一言で言えば、御祭神が有するパワーがそうさせているとしか言いようがない。

それをご神徳といったり、あるいはご神威といったり、霊験を発揮されるといったりする。

しかし、今回みなさんに知っておいていただきたいのは、もともと神が祀られるのは、神々の力への恐れが出発点であるということだ。

つまり御祭神への礼節、マナーに欠いたことをすればどんな神罰を被るか分からない、そんな御祭神を恐れる、かしこむ、そういった思いが現代も神職の祭祀作法を支えている。

それは当然、氏子の人々も同じである。

古いしきたりを守る祭りでは、氏子らも神職と同じく、身を清め食事も肉や魚は取らないなどのマナーがあったりする。

もちろん神社を支えているのは恐れではない。

恐れだけでは、こうも長い歴史を積み重ねることなど不可能だ。

根底には、自分たちを支えていただいてありがとうございます!そんな感謝と敬愛にある。

何にせよ神社という場所は、そこに神がいらっしゃるという前提で作られ、その力が今も生きて働いていると信じられた場所であるという認識を持ってほしい。

神社を判断する基準

基準と言ってしまうと、どこか現代的で、恐れ多いことである。

しかし、神々の働きは不可視なわけで、どこかで神社を判断する方法は必要だ。

そこで一つのモノサシとしては、大きな境内を構える神社であればその御神徳も広大であるということだ。

そして、その場所が心地よく清潔に保たれていれば、それだけ崇敬を集めている神社だ判断できる。

また人がよく集まる参拝者が多い神社は、その御神徳が慕われていると感じることができる。

ご祭神の御由緒、御神徳を知る

御祭神の力、その働き、つまり、その神様がいつどのようなきっかけでその場所に祀られたのかを知ることは、参拝前のマナーといってよい。

いわゆる、各神社が伝える御由緒を知るということである。

古い神社の多くは、作られたのが有史以前の時代にさかのぼることが多い。

よって、歴史学的な視点でその発祥は不明ということになる。

だが、個々の御由緒にはドラマがあり、ストーリーがある。

中には、というか、その大半は、かなりぶっ飛んだ内容であるが、信じるに足る物語として語り継がれてきた。

そしてその中には、御祭神がどのような個性を持ち、どんな性格なのか、御祭神の力は何に由来しどれほどのものなのかを知るヒントが隠されている。

これらを知ることは、御神縁を深める、つまり、神様と仲良くなり、ご利益を頂くうえで必須のポイントといってよい。

参拝するタイミングと心の準備

結論を言うと、神社というのは誰でもいつでもどんな時にでも行っていい場所である。

お寺や教会には閉門時間がある。

一方で、神社はないこと多い。

24時間、365日、国籍や宗教の相違すら問うことなく、いつでもオープンな祈りの場となっているのが神社だ。

というか、昔から密かに祈願を凝らす夜参りの風習さえある。

夜は神々の時間と言われ、お籠と言って夜通し祈りを続け、御祭神の神託を得たという話は各所に残されているのである。

つまり、年頭、月初、それぞれの区切りのタイミングで自分のペースで参拝してOKだ。

個人的には、地元の神社から始めて、旅先でも見つけたら神社参拝をしてみることをお勧めする。

何よりその地域のしかるべき場所に神社があるわけだから、まずは地元の神社に参拝してみることは当然である。

加えて、旅先でも、神社を訪れれば、古来からの一等地を訪問しているわけで、どのような文化を伝えてきたのかが神社に凝縮されており、観光スポットとして最高の場所と言える。

もちろん伝えられるご利益に導かれての参拝でもOKだ。

何度も言っているが、重要なのはそこに神がおわすことを意識することを忘れないでほしい。

具体的な参拝方法

特に難しいことはない。

私達が大切な人と会う時と同じく失礼のないようにすればいいだけである。

しいて言えば、次のこと必須マナーなので押さえておこう。

例えば社殿の近くに車を横付けにする人、これはダメである。

参道を自分の足で歩くようにしてほしい。

参道はただの通路ではない。

大きな神社になればなるほど参道も長く設定されている理由を考えてみてほしい。

周囲は霧で覆われている。

これは神の領域へと向かう参拝者に日常から離れ、心の切り替えをしてもらうための仕掛けなのだ。

参拝の気分を高めるために神社側が用意したプロセスであることを察してほしい。

そこにおわす神への礼儀と作法

鳥居まで来たらここで一度立ち止まり軽く一礼する。

あくまで神の御座所にお伺いするという心持ちが重要だ。

職場で言うと、社長室に決裁を受けに言った状態に近い。

そして境内では手水舎に向かい手と口を清める。

これは本来、禊の簡略化で神前に赴く際の作法の一環と心得たいものです。

神前では、「清く、明るく、正しく、なおく」あることをよしとする。

その第一が「清く」で身の穢れを祓い清めておくことが御祭神に会う時のマナーなのである。

ここでの作法は、下記のとおりである。

  1. 右手で柄杓を持って水を汲み、左手に注ぎ
  2. 次にしゃくを左手に持って右手に注ぐ
  3. また右手に持ち替え、左の手のひらで水を受け、その水で口をすすぐ
  4. また左手にもう一度注ぎ、最後に柄杓を立てて残りの流れた水が柄杓を洗うようにし元に戻す

以上である。

大体、説明書きの立て札があるので、暗記する必要はない。

こういう手順があることを知っておくだけでよい。

こうして御本殿に向かうことになるわけだが、参道の中央は神様の通り道とされているので少し端の方を歩く。

偉い人が廊下ですれ違う際、その廊下が狭ければ、脇によって道を譲る行為に近い。

拝殿まで来たらご祭神への気持ちとして賽銭をあげ鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼をする。

ここでの拝礼は腰が直角になるぐらい深く曲げて、頭を下げるのがマナーである。

これを2度繰り返し、次に拍手に二度してそれから祈りを捧げる。

ここでの心持ちは、まずは御祭神への挨拶とお会いできたことの感謝だ。

そして次に祈願したいことを伝えるという順番である。

そこに神がおわすわけだから、一方的にこちらの願望を伝えるのは失礼というのは、社会を生きるみなさんならご理解いただけるはずだ。

そして祈りを終えたら最後に一礼する。

お神札、お守り、御朱印の正しい扱い方

参拝が済んだらお守りをいただける場所にいってみよう。

ここで配られているお神札は、御祭神の御分霊と思っていただいてよい。

熱心な氏子や崇敬者は、毎年これを改め、自宅の神棚に祀っている。

これはご神縁を維持し、変わらぬご加護を祈るための一つの儀式である。

また様々なお守りもここで購入することができる。

一般的なお守りもあるが、大抵は御祭神の御神徳に対応するもので、伝統的なスタイルのお守りの他、近年の参拝者の趣味嗜好に応じたお守りも人気だ。

当然ながらそれが効くという保証はない。

また、お守りがあれば万事OKというものでもない。

お守りというアイテムを通じて、御祭神がいつも自分を見守ってくれていることを実感するためのひとつのきっかけなのだ。

神様と共に生活しているご神縁のサイン版と言ってもいいかもしれない。

よって、時節柄、通販もあるが、御神札やお守り御朱印などは、神社で直接いただくべきだろう。

ご利益の有無

ともすれば私たちは、ご利益の有無でその神社を見てしまいがちであるが、仮にご利益があってもなくても、それは御神徳のあらわれと考えるべきだ。

なお、ご利益は賽銭の多寡によって決まらない。

最近は成功する人は神社に行くといった話も聞くが、これは神社に行ったから成功したのではなく、成功した人は神社に行っていただけであり、本人の才覚、努力が功一級と考えるのが妥当だろう。

大切なことは、限りある能力とエネルギーしか持ち合わせていない私たち一人一人が世間と関わる上で個人を超えた大いなる存在との関係を意識すること。

そして、自分はたった一個の孤立した存在ではなく、大きな枠組みの中で生かされ助けられていると感じられる。

その契機となるのが神社参拝であり、その参拝を充実させるためにマナーを知る必要があるということである。

人と人との縁と神様との縁は、どこか似ている。

求めすぎても相手は離れる。

恋愛とも結婚とも似ている。

常に親和的な態度で接し、感謝を忘れずにいることで、予期しないタイミングで救いの手が差し伸べられる。

仮に逆境にあったとしても、親しみを持って接してきたあの神様がきっと見ていてくれるという思いが、自分を信じ前を向かせるきっかけになることが私は多かった。

ピッタリの神社と出会い、みなさんが良いご神縁に恵まれることを心より祈願する。

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